1台の奇妙な機械が、我々の技術の原点。

徹底的な管理体制で高精度を追求。

太平洋戦争勃発7年前の1934(昭和9)年、創業者の三品實が名古屋市熱田区(現在の金山駅付近)で始めた、航空機用の鋼板圧延事業。それが三品松菱の誕生でした。航空機に通用する確かな技術力で、終戦後は自転車に始まり、バイク、そしてやがて登場するクルマの部品に用いる鋼板・鋼材の加工を手がけるようになります。
三品松菱の技術を一歩秀でたものにしたのは、東京オリンピックを3年後に控えた1961(昭和36)年、創業者自ら設計・開発し、特注で完成させた、冷間二段圧延機でした。当時の常識だった駆動用平ベルトの代わりにVベルトを用いた、この常識破りで奇妙な機械は、電力事情が悪い中でも安定した駆動を実現し、関西の同業者の間でも噂になるほどでした。これを、最高の腕を持つ職人でもあった三品實が繊細に操り、誤差±100分の2ミリという精度を実現したのです。電子制御などまったくなし、小さな部品一つに至るまで純日本製のこの機械は、現在も大切に手入れされ、創業者の技を受け継ぐ職人とともに生き続けています。
1973(昭和48)年、オイルショックの直前には、生産力増強のため、広い敷地を確保でき主要取引先の事業所にもほど近い、愛知県東郷町に移転。さらに創立50周年を迎えた1984(昭和59)年頃には、従来の鋼板圧延からコイル圧延にも着手。これらの決断が、その後の発展の大きな礎となりました。
こうした歴史の中で培ってきた技術と事業基盤を活かし、現在では、国内でも希少な圧延加工の専業メーカーとして、超高精度の1点ものから量産品まで、お客様の多様なニーズにきめ細かくお応えしています。

創業当初、熱田区時代の社屋外観。 中央にオート三輪が見える工場内部。
創業者・三品實(右端)が社員に技術指導を行う様子。 金山体育館にて初めて出展し、好評を博した展示会。
現在も活躍する二段圧延機の原型モデル。 焼鈍炉の導入によって酸洗・焼鈍・圧延という三品の3柱が揃った。初代シャーリングの設備。 今と比べると構造も単純。
マイナビ2018